第11回毎日パソコン入力コンクール 全国大会・冬季大会 第5部 和文A 中学生(文字数2,400字程度) 学校図書 平成20年度中学校国語科用「中学校国語 1」より引用 『話し言葉と書き言葉』 宮腰 賢 毎日新聞社 月刊Newsがわかる 2011年10月号より引用 『ムーンロード』 話し言葉と書き言葉  毎日顔を合わせているのに、面と向かって話すことも、電話で話すこともためらわれる。だから、手紙を書く。こんな経験をしたことがないだろうか。  中学生のとき、わたしは親しい友達との激しい口論のあげく、けんか別れをしたことがある。  翌日、顔を合わせると、彼はわたしがそこにいるのに気づかないかのように無表情だ。無視されるのは不愉快だし、自分にも非があると思うから、わたしはまさに勇を鼓して声をかけた。彼もその声に応じてくれたのだが、言葉を交わすうちに、前日にも増して激しい口論になってしまった。冷静に相手の言い分を聞くことができないのだ。目の前に相手がいるから、どうしてもそれぞれの感情が表面に出る。  その次の日は、とうとう互いに顔を合わせることさえさけた。  その夜、手紙を書いた。わずかにありあわせの用紙三枚の手紙だが、二時間あまりを費やした。  友達というのは、おもしろいものだ。翌日の朝、教室に入り、彼の姿を見かけてすぐに席に近づき手紙を差し出すと、彼もまた、同じようにきちんと四つ折りにしたものを無言で差し出したのだ。  その後、二人は以前にも増して親しくなった。しかも、毎日顔を合わせ親しく話し合う間柄なのに、彼もわたしも折りに触れて手紙を書いた。  面と向かって会話を交わすことは楽しい。一言一言に相手の反応があるから、一人の時と違って考えが深まったり、思いもかけない方向に話の道筋が発展したりする。用心しなければならないのは、その場の雰囲気でついつい感情が激してしまうことだ。相手の言葉の終わらぬうちに言葉をはさんだり、言葉じりにとらわれて大きな流れを見失ったりする。しかも、言い直したり補ったりすることはできるにしても、一度口にした言葉は取り返しがつかない。言ったという事実は厳然と残る。  手紙を書くこともまた楽しい。その場に相手がいないから、打てばひびくような反応がないのはつまらないし、書くのに時間がかかることも確かだけれど、じっくりと相手の反論などを予測し、言葉を選んで、こちらの言いたいことのすべてを筋道立てて言いつくせる点がいい。何度でも読み返して、言い過ぎた所は削り、言い足りない所は補い、気のすむまで書き改めることができる。  学校では毎日顔を合わせているのに、二年ほどの間に、彼とわたしはそれぞれに五十通以上の手紙を書いた。  手紙のやりとりを続けるうちに、妙なことが起こった。手紙の文体が変わったことと、二人の会話に時折難しい言葉が入り込むようになったことである。  最初の手紙は「ごめんな。おれの言い過ぎだったよ。」といった調子で、普段の会話をそのまま文字にしたものであった。ところが、いつの間にか、「君の言おうとすることも分かるが、僕はこう思うのだ。」というような文体になった。ふざけ半分に「拝啓」で書き起こし「敬具」で結ぶ「です・ます」体の手紙を書いたりもした。「拝復」だの「復啓」だのの言葉を使ってみたのもそのころである。  二人で話す時には、半ば無意識に、半ば冗談に「いい天気だなぁ。」と言う代わりに「快晴の好天気だなぁ。」とか「難しい問題だ。」と言う代わりに「難解な問題だ。」とか「この小説のあら筋は……」と言う代わりに「この小説の梗概は……」とかいう言い方をした。いずれも手紙を書くときに、辞書で確かめた言葉である。中でも、二人にとってうれしくてたまらなかったのが「微温湯」であった。昼食時に弁当箱のふたに湯を配るのが当時の習慣であったが、「熱湯だよ。微温湯ではないから気をつけて。」と得意になって言ったものである。  面と向かっては話しにくい気まずさから手紙を書くことになったのだが、今思うと、ずいぶん多くのことを知った。話し言葉と書き言葉の違いに気づいたことも、その一つである。  中学生の友達同士であったから、音声による話し言葉のよさを生かしみがき上げることなど考えもしなかった。わずかに、文字による書き言葉には話し言葉とは異なる文体や語のあることを知ったに過ぎない。  対話にしろ独話にしろ、話し言葉の場合は目の前に相手がいるのが普通だから、聞き手の反応を確かめながら、くり返したり言い換えたりすることができる。間を取ったり強調したい所を声の調子で表したりもできる。耳で聞いて分かりやすい語を選ぶことは言うまでもない。今日であれば、録音や録画で残すことも可能だ。  こうした話し言葉のよさが初めから分かっていたら、話し言葉の世界でもより充実したやりとりができただろうにと残念に思うのである。 ムーンロード  秋は月がよく見える。空が澄んでくることと、月の位置が高くなってくることからである。  満月を過ぎた月は、空が暗くなると赤やオレンジ色で出てくる。そして高くなると、黄色から白へと変わっていく。太陽と同じ色の変化だが、まぶしくないので色がわかりやすい。もし、海岸や湖のほとりから月の出を見たら、とても幻想的で感動するだろう。それは月光が水面に映るからである。  ある夜、海岸の高台から東の空に昇る月を見た。赤い月が地平線から出てきて、少しすると月の光が海に映った。まるで月光の道ができたようで、「ムーンロード」と呼ばれる。ちょっとしゃれた名前である。海にはうねりがあって波が高かったので、「ムーンロード」の幅が広く、前後左右に光が揺らいでいた。波のない湖や沼で見た時の、縦に細長いものとはずいぶん違っていた。  「ムーンロード」を見たい時は、満月かそのあとの数日間がチャンス。月の出の時刻を調べ、海や湖を東に望む場所で晴れた日に待っていればよい。  西側に海や湖がある場所では夜明け前の空で見られるが、時間的に難しいだろう。その場合、満月か満月になる前の月が沈む時刻を調べること。その1時間くらい前にチャンスがある。