第8回毎日パソコン入力コンクール 6月大会 第5部 和文A 中学生(文字数1,900字程度) 三省堂 平成18年度中学校国語科用「現代の国語 1」より引用 『クジラの飲み水』 大隈清治  「海には水が不足している。」と言ったら、ほとんどの人はそんなことがあるわけがないと思うだろう。もちろん海水の大部分は水であるし、海が大きな水のかたまりであることは確かである。しかし、膨大な水によってつくられている海は、人間の飲み水という面からみると、砂漠と同じかそれ以上に水が乏しい環境なのである。  海にすむほ乳類であるクジラにとって、飲み水をどのようにして得るかということは非常に大きな問題となる。動物はふつう、体重の約七〇パーセントが水分であり、そのうちの一〇パーセントの水分を失うと生命がおびやかされる。生物にとって水はそれほど大切なものなのである。それでは、いったいクジラはどのようにして飲み水を得ているのであろうか。  まず第一に考えられるのは、クジラは海水から水を得ることができるのではないかということだ。人間などの陸にすむほ乳類の体液には、わずかな塩分が含まれているが、海水に比べるとその濃度ははるかに低い。だから、もし海水を飲むと、逆にのどが渇いてしまう。海で遭難してのどが渇いたときに、決して海水を飲んではいけないといわれるのはこのためである。  では、クジラは海での生活に適応したため、塩分の濃い海水を飲むことができるようになったのだろうか。確かにクジラの体は、海という環境に適応していろいろな変化をしたが、海水を淡水に変えるような体の働きは備わっていない。つまり、飲み水に関しては陸にすむほ乳類とほとんど変わらない。このため、クジラも海水を飲んでのどの渇きをいやすことはできないのである。  それでは、食物を食べるときに一緒に飲みこまれる海水は平気なのか、という疑問をもつ人もいるだろう。ところが、食物を食べるときには、海水はほとんど胃の中に入ることはないのである。例えば、シロナガスクジラの場合は、口の中にあるヒゲのような器官を使って、口を閉じたまま海水だけをヒゲのすきまから外に流し出してしまうのだ。  第二に考えられるのは、クジラの食物である生物の体の中に含まれる水分を利用しているのではないか、ということである。クジラの食物となるプランクトンや魚介類の体の八〇パーセント近くは水でできており、これを利用するわけである。陸上のほ乳類でも、水場の少ない乾燥地帯にすむガゼルの仲間やアダックスなどは、食物にする植物に含まれている水分に頼って生活している。  ところが残念なことに、クジラの場合にはこの方法は使えない。それは、食物に含まれる塩分の濃度が、植物とプランクトンなどとでは違うからである。クジラの食物となるプランクトンやイカなどの体液は、塩分の濃度が海水と同じなのである。だから、これを利用すると、かえってのどが渇いてしまう。クジラは、口の中やのどで食物をぎゅっとしぼってから胃に送り、塩分をとりすぎないようにしている。  そうなると残された道はただ一つ、クジラが自らの体内で水をつくるということになる。一般に動物が食物を食べ、エネルギーを得るときには、脂肪や炭水化物やタンパク質が分解される。そのとき、水ができるのだ。クジラはこの水を利用するのである。特に脂肪が体内で分解されるときには、炭水化物やタンパク質に比べ、多くの水が生まれてくる。幸運なことに、クジラの食物には多量の脂肪分が含まれているのである。また、クジラの体には、多くの脂肪が蓄えられている。だから、食物を口にしないときも、クジラはこの脂肪を分解して水を得ることができるのである。砂漠にいるラクダも、こぶに脂肪をため、長時間水を飲まずに暮らしているといわれている。  しかし、いくら脂肪が多いからといっても、あり余るほどの水ができるわけではない。この貴重な水分を有効に使うため、クジラの体はできるだけ余分な水分を失わないようになっているのである。  陸上の動物の場合、体の水分が失われる大きな要因としては、呼吸・発汗・排せつの三つがある。だが、海洋では水蒸気が比較的多く、湿度が非常に高いので、呼吸によって失われる水分の量はきわめて少ない。また、クジラには汗腺がないため、汗によって水分が失われることはない。したがって、クジラの場合、貴重な水分は主に排せつによって失われることになる。これはもったいない話のように思えるけれども、尿を出すことは、同時に体内の余分な塩分を、老廃物と一緒に排出することになっているのである。  このように、砂漠よりも水の乏しい環境にすむクジラは、飲み水としての水を飲むことが全くない。クジラは体内で水をつくり、尿によって塩分を排出し、一方でできるだけ、水分を失わないようにして暮らしているのである。